暴力沙汰や野球賭博など、不祥事と醜聞で揺れ続ける相撲界。極めつけは八百長の発覚だった。数年前から複数の元力士の告発によって、大相撲に八百長が横行していることが取り沙汰されてきた。生々しく真実味のある証言内容に、
Photo by: Brian M. Chapman恐らく八百長はあるのだろうと大方のファンも感じていたに違いないが、藪の中から決定的な証拠が露見するに至り、あらためて失望感がいや増した。週刊誌で伝えられるところでは、相撲界に巣食う八百長の根はどうも深いらしい。確かに今回証拠となった後ろめたさのあまりに稀薄なメール内容が、八百長が慣行的なものとして集団的に続けられてきたことを窺わせる。
外国人力士全盛、横綱と下位力士の力の差が歴然とした近年の相撲に興味はすっかり失われたが、かつて相撲少年として、「柏鵬」や「北玉」、「輪湖」の熱戦を夢中で見てきた身としては、一体いつから、どれくらいの「規模」で八百長が行われてきたのか、気になるところである。
相撲における八百長を初めて声高に難詰したのが、石原慎太郎であることは知られている。石原が噛み付いたのは、あろうことか、昭和38年の9月場所千秋楽、横綱柏戸と大鵬の一戦だった。「瀬戸物」と呼ばれるほどにケガの多かった柏戸は、前場所まで4場所連続休場。しかし捲土重来を期したこの場所、柏戸は14 連勝で、同じく全勝の大鵬との楽日決戦に臨む。そしてライバルとの世紀の一戦に柏戸は勝った。見事な復活、劇的な涙の優勝だった。柏戸が正面土俵に大鵬を寄り切った瞬間のテレビ映像を、今でも憶えている。
しかし石原は、「いい加減にしろ」と題してこの相撲を明らかな八百長と断じた厳しい一文を翌日のスポーツ新聞に寄せ、感動に酔う世間に冷水を浴びせた。相撲協会が石原を告訴する大騒動となった末、結局、石原は協会に詫びを入れてこの問題は終息した。
先の文藝春秋で、石原は半世紀前のこのときのことを回顧し、自分は八百長はなかったと認めたわけでも謝罪したわけでもないと述べ、大鵬は惻隠の情で柏戸に勝ちを譲ったのかもしれないと、あの相撲が疑惑の一番であったという自説を翻していない。同時に、相撲における日常的な八百長の存在は、当時の関係者の多くが知る公然の事実であったとも語っている。
振り返ると柏鵬時代の相撲は、大鵬の実力が抜きん出て、優勝を独占していた印象があるが、その下に位置する顔ぶれも層が厚かった。柏鵬に続いて横綱となった栃ノ海、佐田の山、名大関と謳われた豊山、北葉山、栃光。若手では北の富士、玉乃島(後の玉の海)、琴櫻、清国、麒麟児(後の大麒麟)らが控えていた。大鵬は巡業先でこうした好敵手を次から次に相手にし、ひとり土俵を譲らず息もつかない鬼のような稽古を重ねていたという。だからこその強さだったのだ。
群雄割拠し、文字通り手に汗握りながら、テレビにかじりついていたこの時代の相撲に八百長がかけらでもあったとは信じたくないものだが...
Reference: 大相撲歴代横綱一覧表
Posted: 26 March 2011
昭和の歴代横綱
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