2009年ウィンブルドン女子テニス決勝は、ウィリアムズ姉妹で争われ、妹のセリーナが制した。女子テニスの醍醐味のひとつは優雅さ、華麗さにあるが、ビーナス姉妹はひたすら強打に徹している。パワーテニス全盛時代にあっては、筋力と身体能力に優れた黒人選手の活躍する余地が大きいと思われるが、ビーナス姉妹を除いて男女ともいまだ一線の選手にその数が少ないのはなぜだろうか。
約60年前、人種差別が激しかったアメリカで、黒人テニスプレーヤーの先駆けとなったのがアリシア・ギブソンという女子選手である。ギブソンは、1927年にアメリカ・南カリフォルニアに生まれ、ニューヨーク・ハーレムで育った。10代でテニスを始め、黒人のテニス大会で頭角を現す。全米選手権で4度チャンピオンとなった女子の名選手アリス・マーブル(白人)の支援によって、1950年の全米選手権に初めて出場した。黒人メジャーリーガーの道を拓いたジャッキー・ロビンソンが、ドジャースの一員としてメジャーの檜舞台に立った3年後のことである。この大会では2回戦で敗退したが、その後次第に力を発揮するようになり、1956年の全仏選手権でシングルスとダブルスを勝ち、メジャータイトルを獲得した初の黒人選手となった。そして1957年7月、決勝でダーリーン・ハードを6-3、6-2で破り、念願のウィンブルドンチャンピオンに輝いた。ちなみに男子では、1975年にアーサー・アッシュがジミー・コナーズを下して、初のウィンブルドン黒人チャンピオンとなっている。
同年9月には、ギブソンは全米オープンを制した。50年代、ギブソンはメジャー11勝を含め、シングル・ダブルスで56のタイトルを獲得。AP通信は、57年と58年の最優秀女子スポーツ選手に彼女を選出している。
58年にウィンブルドンと全米オープンを連覇した後、ギブソンはプロ転向を果たす。とはいえ、当時の女子テニスの試合はもっぱらアマチュア選手しか出場できなかったから、ギブソンは、アフリカン・アメリカンで構成されたバスケットボールチーム「ハーレム・グローブトロッターズ」に帯同して、その試合前にエキシビションプレーを披露したり、1971年までゴルフの女子プロとしてトーナメントに出場したりしていた。2003年に亡くなったが、ビーナス姉妹の台頭時には、アリシア・ギブソンの名前が黒人テニスプレーヤーの先駆者として畏敬を込めてたびたび紹介された。
アメリカのテニス専門誌「テニスマガジン」が、2005年に創刊40周年を記念して、過去40年のベストプレイヤー40人を発表している。男女を一緒にしてランキングしているのが面白いが、1位サンプラス、2位ナブラチロバ、3位グラフ、4位エバートと続く。フェデラーは19位だが、今年の男子ウィンブルドンを制し、メジャー勝利数においてサンプラスの記録を塗り替えた現在となれば、トップに推されて不思議ではないところだ。
Reference:40 Greatest Players of the Tennis Era
Posted: 19 April 2009
テニスマガジン誌が選んだ偉大なテニスプレイヤー40人(1965-2005)
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