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沖縄戦

零戦

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戦争のさまざまな局面によってもたらされる恐怖の度合いに、差異や序列をつけられるものではないだろうが、軍人でない一般人にしてみれば、敵部隊の襲来を眼前にし、砲弾や爆撃の絶えやらぬ地上戦の真っ只中に置かれることほど、直接的で持続的な戦慄体験はないのではないか。

太平洋戦史中、最大最悪の激戦となったその沖縄地上戦の惨禍は、残された映像によって想像を絶するものであったと察せられるが、さらに犠牲者の数を顧みることで、その苛烈さが一層息を呑むほどに迫ってくる。

約80日間に渡る沖縄戦において、日本側部隊の死者は10万7千人、民間人の死亡も約10万人、戦没者は合計20万人以上とされる。県民の3分の1もが犠牲となったという。

連合国軍は、沖縄上陸こそ拍子抜けするほどたやすく達成したものの、その後、嘉数の戦いやシュガーローフの戦いをはじめ、日本軍部隊の頑強な抵抗や荒地での捨て身のゲリラ戦術、夜襲攻撃に遭遇、制圧は困難を極める。大本営と牛島司令官らは沖縄を「捨て石」とし、持久戦によって連合軍の本土侵攻を遅らせようという作戦だった。その間に、敗北が決定的となった太平洋戦争の和平交渉を進め、それを可能な限り有利に導こうと目論んだ。

50余万もの兵力を投じ、「鉄の暴風」と呼ばれるほどに、陸海で艦砲射撃やロケット弾、砲弾を浴びせる一方で、米軍の犠牲者も1万2千人に達した。34の艦船が主に神風特攻隊の攻撃により撃沈され、戦闘機763機を失った。

沖縄本島の最前線で日本軍とまみえた米兵や、「カミカゼ」に怯える海兵隊員には、恐怖から精神を冒される者が1500人以上も生じたと米側の記録に残されている。米軍は、日本兵や民間人が篭った「ガマ」と呼ばれる自然壕の入口から洞窟内に向けて、火焔砲を放射する無差別殺戮を加えるに至る。

そしてこの沖縄戦で被った米側の「トラウマ」が、戦争の早期終結を大義名分とした広島、長崎への原爆投下に結びついたのだという。

Posted: 3 July 2010

References:沖縄戦総記 / 沖縄戦史 / Wikipedia / 沖縄戦 / 沖縄戦関係資料閲覧室 / 知覧特攻基地 / Battle of Okinawa / Wikipedia_En