Rintaro.net

ホーム »  人と歴史  » 

203高地の戦い|日露戦争物語

日露戦争物語

タイムライン上のリンクをクリックすると関連する情報が表示されます。タイムラインはドラッグまたはマウスのスクロールホイールで左右に動かすことができます。← →

司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』が、NHKでテレビドラマ化されて話題を集めている。昭和40年代に同書が刊行されてから、この小説のドラマ化や映画化がたびたび企画されたものの、司馬は「戦争賛美」と捉えられることを憂慮してドラマ化を拒んでいたとされる。旅順要塞昭和の戦争は、まだ体験者が存命してその悲惨な有様を語り継ぎ、目を覆うばかりの映像も残っている。対して100年前の日露戦争はいまや物語として伝えられ、明治期の未熟な小国日本が、巨大帝国ロシアを奇跡的に破竹し、欧米列強に肩を並べる近代国家へ脱皮する端緒となったというある種の爽快さを伴って回顧されがちである。

しかし小説『坂の上の雲』は、従軍ルポライターが書き下ろしたノンフィクションの如く、秋山兄弟や正岡子規の交流とともに、当時の入り組んだ国際情勢と戦争の背景や人物相関を精緻に語っている。よくも調べ上げたものと感嘆するばかり。明治人の気骨や進取の気性、一方で「未成熟な時代」の精神主義至上、非合理性も浮き彫りにしている。とりわけ紙幅が割かれているのが、凄絶を極めた旅順攻囲戦のくだり。そして要衝203高地をめぐる攻防の描写。そこでは、旅順攻撃を指揮した陸軍第三軍の司令官乃木希典大将と参謀伊地知幸介に対する司馬の容赦ない憤りがペンを通して噴出している。

旅順攻防戦と戦略的要衝としての203高地

日露戦争は、朝鮮半島と満州の権益をめぐる日露の利害衝突を理由とする。両国の外交交渉が頓挫し、日本軍の先制攻撃によって戦端が開かれる。日本海軍は、当初よりウラジオストックとともにロシア太平洋艦隊が拠点とする軍港「旅順」を、重点攻撃目標としていた。朝鮮半島や満州地域で戦闘を継続するための兵站や食糧輸送路として、日本海の制海権を早期に握ることが日本にとっては至上命題であった。バルト海周辺に展開する圧倒的な戦力を誇る無敵バルチック艦隊が極東へ回航し、ロシア太平洋艦隊と合流することを何よりも恐れた。それまでに旅順を制圧しておくことが焦眉の課題だった。

しかしロシア太平洋艦隊は、坂の上の雲〈5〉 (文春文庫)バルチック艦隊の到着を待つため旅順湾内に閉じこもり、日本海軍の陽動に応じず持久戦を決め込む。海軍は有志部隊を募り、旅順湾口に商船や汽船を自沈させて、ロシア艦隊を封じ込めようと3度にわたる閉塞作戦を計るが失敗する。そこで海軍は陸軍に、旅順港北方の高地に攻め入り占領し、そこから旅順湾内のロシア艦隊に砲撃することにより、太平洋艦隊を殲滅する作戦を要請する。旅順は、満州全土の死命を決する鉄道(南満州鉄道)と兵站の基地でもあり、陸軍も応ずる。

陸軍は乃木希典を総大将とする第三軍を急遽編成し、旅順攻撃を試みる。ところが旅順港北方で旅順艦隊を防護していたのは、ロシアが7年の歳月と1500万ルーブル、セメント数十万樽を費やし、守備兵4万2000名を擁する難攻不落の近代要塞だった。

ところで海軍は地勢分析により、この旅順要塞周辺で西北に位置する203高地が戦略的に重要な要衝となることを発見した。203高地はその名のとおり標高203メートの高台で、ここに立てば旅順湾内が望見できる。そこに観測所を設置し、付近に据えた砲台から湾内の太平洋艦隊に砲弾を的確に浴びせることで、ロシア太平洋艦隊を殲滅させられる。陸軍もそれに気づき、203高地への集中攻撃を海軍ともども乃木司令部に繰り返し提言する。ところが乃木と参謀の伊地知は、旅順要塞を正面突破によってすべて陥落させることこそが作戦の要であると頑として応じない。

その作戦指示のもと、203高地史跡部隊兵は銃剣を手に、要塞へ向かって無謀で玉砕的な突撃をいたずらに重ね、要塞から間断なく放たれる機関銃砲撃の返り討ちに遭う。こうした無為無策の攻撃作戦が、旅順総攻撃第一次から第三次まで続き、乃木第三軍は未曾有の屍の山を旅順の山に重ね続けた。次第に司令部への信頼を失った前線の士気は低下し、東京の大本営や政府中枢でも乃木更迭論が強くなる。

1904年11月に入り、ようやく乃木も203高地へ焦点を当てた攻撃変更を決断する。その時、ロシア軍要塞部隊もすでに203高地の重要性を認識し、強固な堡塁を築いていた。乃木部隊は一進一退の攻防の末、いったん203高地の占領に成功するもほどなくロシア軍に奪還される。業を煮やして満州司令部からやってきたのが児玉源太郎であった。児玉は、盟友乃木の名誉を傷つけまいと慎重に気遣いながら、自ら乃木にかわり実質的な指揮をとり、内地から輸送してきた二八サンチ砲をフル活用して作戦を遂行する。わずか2日あまりの攻撃で203高地の完全占領をようやく果たす。その時203高地の山頂に立った将校は、「旅順が見えるか」と下方に位置する司令部からの電話に、「見えます。(ロシアの)各艦一望のうちにおさめることができます」といさんで応答したという。ここは瞬間的ながら、情景をイメージすれば「203高地物語」のハイライトのひとつと映る。結果、203高地付近に据え付けられた第三軍の二十八サンチ榴砲弾は、観測兵の誘導のもと、正確無比にロシア旅順艦隊を撃ち抜き全滅させた。東郷平八郎率いる連合艦隊は、満を持してバルチック艦隊を迎え撃つ。

乃木は寡黙で漢詩に長けたいわば風流人。明治天皇崩御の報に接し、妻とともに殉死したことは人口に膾炙している。帝国軍人として、部下を叱責することもない精神性豊かな人格者であったが、『坂の上の雲』において司馬は、旅順攻囲戦と203高地戦における指揮を典型として、司令官としての乃木に一貫して冷徹な評価を下している。明治から昭和期にかけて定着していた、日本人の乃木希典に対する偶像的イメージをこの小説が転換させた契機となり、それに対する反発や異論も湧出した。近年、新たな史料の発見により、乃木を再評価する論もあるという。

映画とテレビドラマの『二百三高地』では戦史を忠実に再現し、やはり乃木は高潔ながら軍事戦略的には何もなさない人として描かれている。心ならずも徴兵された人々、旅順攻防、203高地の戦いを巡って織りなされる男女や家族の情愛と永遠の別離、戦地の友情、悲しみが胸を打つ。

Posted: 15 December 2009

References: Wikipedia
『坂の上の雲(5)』
『二百三高地』