今年は、推理作家故松本清張の生誕100年にあたるという。同じく太宰治も生誕100周年ということで、
映画化をはじめ何かとその生涯に光が当てられている。この2人が同い年(1909年-明治42年生まれ)だったとは意外である。
それというのもふたりの活躍時期はまるで違う。太宰が作品を発表していたのは、1930年代から自殺する1948年まで。いわば昭和初期の作家。松本清張は太宰の死後の1950年、41歳のときに『西郷札』を発表して本格的なデビューを果たし、亡くなる1992年まで長期にわたり作品を量産し続けた。中学校の教科書で『走れメロス』を読んだとき、太宰はとうにこの世になく、スキャンダラスな自死を遂げた半ば歴史上の人物という印象があった。対して松本清張は、遅咲きながらその頃脂が乗り切り、高度経済成長の日本社会のひずみをえぐり出す数多くの社会派作品を世に出していた。
この他にも2人を比べてみると興味深いものがある。太宰の出身は東北・青森で、地主の子として育った。清張は生まれは下関だが、幼少時、九州・小倉に引っ越し、本格的な作家活動のために上京するまでそこで過ごした。太宰が弘前高校を経て、東京大学文学部に学ぶという学歴エリートだったのに対し、清張は貧困家庭に育ち、尋常高等小学校卒業後、15歳で就職しながら文学活動に親しむようになる。
容貌も対照的である。太宰は端正かつ繊細な顔立ちで、死ぬまで浮名を流し続けた。清張は強面で怪異な表情とも映るが、自らの原作を映画化した作品にチョイ役で出演して愛嬌を見せるところもあった。太宰は第1回の芥川賞候補となるも落選。どうしても芥川賞が欲しかった太宰は、あからさまな懇願やうらみつらみを連ねた手紙を差し送り、選考委員を辟易させる。松本清張は、直木賞候補だった『或る「小倉日記」伝』が、芥川賞に回されて思わぬ受賞の栄に輝いた。
芥川賞獲得後の清張は、1958年に刊行した『点と線』、『眼の壁』が大ヒットして人気推理作家としての地位を築く。江戸川乱歩、海野十三、横溝正史らそれまでのトリック重視や怪奇譚的な探偵小説から趣を変え、現実社会を舞台に据え、社会の矛盾や人間の根深い愛憎を謎にからませリアリティーに満ちた内容が斬新だった。日本の推理小説の系譜を辿る際、「清張以後」という表現が用いられるという。
松本清張作品の中では、『点と線』、『ゼロの焦点』、『砂の器』がとりわけ人気があるが、これらは皆清張の作家活動における比較的初期の作品であるにも関わらず、人気が衰えることがない。人間の複雑な情念の抜き差しならない交錯が、時代を経ても迫真さを保っている。だからこそ清張の作品はいまだ盛んにドラマ化される。
清張の推理は架空の世界のみならず、「下山事件」や「帝銀事件」、「もく星号遭難事件」「邪馬台国」など昭和史や古代史にも及び、その仮説は大胆ながらも学界や研究者にも評価されていたという。関連文献を徹底的に渉猟することに加え、「現場主義」によって作品の舞台となる場所や史跡へ赴き、ひたすら観察しながら推理を膨らませていたのだという。
Posted: 5 December 2009


