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トルーマン原爆投下命令までの日

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広島市と長崎市が共同開催地として、2020年度夏季オリンピックを招致する計画があるという。国内選考も今後に控え、正式な決定は当分先のことになるが、仮に両市での開催が実現すれば、スポーツの祭典と同時に平和を願うイベント オリンピックで、世界唯一の被爆国が特別なメッセージを発信する機会となる。

日本が唯一の被爆国であるならば、アメリカは唯一の核兵器使用国。オバマ米大統領が核廃絶を訴えて喝采を浴びたが、核開発に血道をあげる国々に対し、最大の核保有国はどう示しをつけるのか。

そのアメリカの国立公文書記録管理局(NARA)が1990年代半ばに機密指定を解いて公表した、原爆投下関係の資料をジーン・ダネンという研究者が「ATOMIC BOMB:DESISION」というWEBサイトに再録・掲載している。原爆投下に至る経緯-トルーマンがどのような過程を経て原爆投下の決断に至ったか-は、歴史家や研究者によっていろいろと詳らかにされているが、核兵器開発計画―マンハッタン計画が大詰めを迎え、作戦遂行までの約90日間の会議録や報告書等、かつてのトップ・シークレットは生々しく迫ってくる。

原爆投下に際しては作戦計画が着々と進む一方で、開発を担った科学者 ―その少なからずは故国での迫害を逃れてアメリカにやってきた人々だった― や一部軍人の間で多大な懸念や強硬な反対論が拡大していたことが資料より窺える。反対者は、核兵器の未曾有の威力を認識したうえで、いったん使用されれば戦時兵器として各国で開発競争が繰り広げられることを予見し、数多くの名前を連ねた数多くの原爆使用反対請願書を、政府あるいはトルーマン大統領にあてて提出していた。少なくとも日本に対して原爆投下を予告したうえで、降伏を促すべきだと主張する人たちも多かった。しかし戦争の早期終結の大義名分と、「ポスト・ウォー」をにらんだ対ソ戦略の一環で、原子爆弾はトルーマンの決定により、8月6日に広島、9日に長崎へ投下された。

ダネン氏は、トルーマンが、「HIROSHIMA」を兵站基地と工場が集中する日本の軍事的拠点とみなし、一般市民が多く居住する普通の都市であることを知らない(知らされない)ままに、同地への投下命令を下した可能性があることを示唆している。

Posted: 15 Nov 2009

References: Atomic Bomb: Decision / Wikipedia
日本原水協 / 哲野イサクの地方見聞録